転記用URL :https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/detailLink?cls=collect_03&pkey=00020013
目次・記事詳細
項目 | 内容 |
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書誌番号 | 1103034967 |
資料種別 | 図書目次 |
書名・雑誌名 | 横浜の歴史 |
目次・雑誌巻号等 | 第二章 横浜の開港 |
大項目 | 第一節 黒船の渡来 |
中項目 | (3)日米和親条約 |
小項目 | 交渉の開始 |
ページ数/コマ数 | 0 |
本文 | 横浜応接所は久里浜に設けられた設備を解体し、横浜に運んで4日間で完成させたもので5棟からなるこの応接所をアメリカ側は条約館と呼んだ。 安政(あんせい)元(1854)年2月6日、ペリーが再来した日から21日目に第1回の会見が行われた。日本側の全権は神奈川宿から船で到着し、アメリカ使節ペリーと兵士500名は祝砲のとどろく中を音楽隊を先頭に上陸した。会談は前回の国書の回答から始められ、4回の会談で条約の交渉は妥結し、3月3日に調印が行われた。これが横浜で結ばれた日米和親条約であり、一般には神奈川条約ともいわれた。 |