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目次・記事詳細

項目 内容
書誌番号 1196057033
資料種別 図書目次
書名・雑誌名 横浜の本と文化
目次・雑誌巻号等 外国文化
大項目 日本・横浜紹介 
中項目 西洋人の日本知識
小項目 商人の記録
ページ数/コマ数 520
本文  来日西洋人の多数派は商人だが、オランダ東インド会社の社員以外の日本に関する著作はほとんど無い。鎖国前夜の二十数年間を長崎で過ごしたスペイン人ヒロンの『日本王国記(84)』は、その意味で希少価値がある。大航海時代叢書(85)第一一巻に完訳がある。商人たちの日本観を探るためには、日記や商用書簡、故国の家族や知人にあてた手紙に注目しなければならないが、公刊されているものはわずかであり、閲覧するのも容易ではない。存在さえ知られずに埋もれている資料も多いに違いない。その意味で、ウォルシュ=ホール商会の創立者の一人、アメリカ人フランシス=ホールの日記(86)の公刊は画期的だが、もともと植物学者であり、必ずしも商人の立場で書かれているわけではない。
 居留地の古老の談話を集めた『ジャパン=ガゼット横浜五○年史』は、『市民グラフヨコハマ』第四一号(87)で翻訳されている。スイス人時計商、ファーヴル=ブラントの回顧談もそのなかに含まれるが、別に『文明開化期当初における横浜の風物と事情(88)』という小冊子がある。平野光雄「ゼエームス・フアブルブランド伝(89)」と合せ読むと興味深い。単行本としては他にモリソンの『横浜の思い出』やヴァーナムの回顧録がある。前者はジャパン=ガゼット社、後者はボックス=オブ=キュリオス社で印刷されている。ジャパン=ウィークリー=メイルに掲載されたロジャースの「黎明期の横浜の思い出(90)」は、開港直後の横浜居留地の出来事を記録しており、他に替えがたい価値がある。斎藤多喜夫「ロジャースの回顧談(91)」で内容の一部が紹介されている。同様なものにウィルキンの「一八六○年代の横浜(92)」、ブレントの同じく「一八六○年代の横浜(93)」があり、大藤啓矩「横浜文芸協会における居留民の回想録(94)」で、その一端が紹介されている。
 外国商社の社史や研究書にも興味深い記述がある。『イリス商会百年史』は日本語版がある。同書で活用されている社員の書簡が、生熊文編訳『ギルデマイスターの手紙─ドイツ商人と幕末日本─(95)』として出版されたのは有意義な企画といえる。スイス系シーベル=ヘグナー社の社史でも言及されている設立者ブレンワルトの日記も存在するが、その全容は不明である。同社については、『横浜居留地の諸相』に収録されている中西道子「スイス特派使節団の来浜と商館の創業」をも参照されたい。同書には、イギリス系では石塚裕道「ドッドウェル商会」、アメリカ系では福永郁雄「オーガスティン・ハード商会」、オランダ系では向井晃「オランダ貿易会社」、ドイツ系では同「イリス商会」およびデイルク=ファン=デア=ラーン「シモン・エヴァース商会」も収録されており、この分野での道案内の役割を果している。オランダ貿易会社の社史は、横浜正金銀行調査部刊行『調査資料』第五一号(96)に、英語簡略版からの日本語訳が「ファクトライ史」として収められている。
 商用書簡としては、外国商館の最大手、イギリス系ジャーディン=マセソン商会の資料がケンブリッジ大学に保存されており、石井寛治『近代日本とイギリス資本(97)』、杉山伸也『明治維新とイギリス商人─トマス・グラバーの生涯─(98)』などで縦横無尽に活用されているが、閲覧は容易でない。ヴァンリードの横浜からの通信を含むハード商会の資料は、アメリカのハーヴァード大学ベイカー=ライブラリーに保存されており、マイクロフィルムに収められているので、いずれ日本でも閲覧できるようになるであろう。最近、コーンズ商会の膨大な資料が、経営者の子孫のもとに保存されていることが判明したが、公刊までにはまだまだ時間がかかると思われる。私的な書簡としては、イギリス人キングドンの母親あて書簡の存在が知られる。前掲『史料でたどる明治維新期の横浜英仏駐屯軍』で、その一部が歌川隆訳「イギリス商人の見た生麦事件後の英仏軍の動静」として紹介されているが、全面的な公刊にはかなりの時間を要することであろう。ファサリ商会を興した写真家ファサリが故国イタリアの家族に送り続けた書簡も、いずれは公刊されるものと思われる。
 しめくくりに、以上のどの範疇にも属さないが、幅広い内容をもった史料価値の高い記録として、ジャーナリスト、ブラックの手になる『ヤング・ジャパン(99)』の名を挙げておく。
 なお、本稿に掲出した資料について、邦訳資料の出版事項は注欄を、原資料の書誌事項は資料編をそれぞれご参照いただきたい。
(斎藤多喜夫)


(84) 邦訳は、佐久間正・会田由・岩生成一訳註。『外国人の見た日本』第一巻にも抄訳がある。
(85) 岩波書店、一九七○年
(86) 注(59)参照
(87) 「ジャパン=ガゼット横浜五○年史」、横浜市、一九八二年
(88) 平野光雄訳、平井時計文化研究所、一九五六年
(89) 平野光雄『明治前期東京時計産業の功労者たち』(同刊行会、一九五七年)所収
(90) Rogers, George William, ‘Early Recollections of Yokohama 1859‐1864’. The Japan Weekly Mail, 1903.12.5
(91) 『開港のひろば』第二三号(横浜開港資料館、一九八八年五月)
(92) Wilkin, Alfred John, ‘Yokohama in the Sixties’, Supplement to the Japan Gazette. 1893.11.4
(93) Brent,Arthur,’ Yokohama in the Sixties’, The Japan Weekly Mail. 1902.1.4
(94) 前掲『横浜居留地の諸相』所収
(95) 有隣堂(有隣新書)、一九九一年
(96) 一九四二年二月
(97) 東京大学出版会、一九八四年
(98) 岩波書店(岩波新書)、一九九三年
(99) ねず・まさし、小池晴子訳、全三巻、平凡社(東洋文庫)、一九七○年