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資料詳細
詳細情報
項目 | 内容 |
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書名等 | 開国始末 |
著者名 | 島田 三郎 |
出版者 | 輿論社(発売) |
出版年月 | 1888.3 |
時代区分 | 1868-1888:文明開化期 |
ページ数 | 104,92p 図12 |
大きさ | 22cm |
個人件名 | 井伊 直弼 |
書誌番号 | 1190438440 |
資料種別 | 1:図書 |
所蔵先 | 中央図書館 |
目次 | 開国始末 井伊掃部頭直?伝 本書著述の由来 著書の材料を得たる来歴 秘録保存の話 真跡の摸刻 画像の由来及び寺院の篤志 本書の体裁 中川、長野、宇津木、●城の小伝 史伝の著者は好悪の念を去らざる可からず 欧西史家の公正 ラマルタンの史論 成敗は是非の標準に非ず 史家の陋見 史伝は人の立志に関す 人の事跡は時世に関係す 緒言 1-21 人の事業心術は世系に関する者あり 井伊氏の略系 井伊氏の始租 井伊氏初めて徳川氏と縁故を生ず 直政 直孝家を承く 直政直孝を中輿の二宗となす 京師守護の密旨 直弼の心事由来する所あり 直弼書生の生活を為す 布衣の土を友とす 埋木の舎 藩士に武芸を学ぶ 学館に出入して文武を修む 堅忍の気象修芸の間に著はる 追慕の歌 世嗣に立てらる 藩臣の忠言に答ふ 光国の宏量直興の剛邁 歌を贈りて藩臣の勤労を慰む 旧例に拘らずして養父の疾を省せんとす 遺封を継ぐ 15万両を出して士民に頒つ 告諭を発して直言を求む 品川砲台の頼むに足らずして人心を調ふるの要を論ず 直弼の説佐久間啓の見と暗合す 先見奇禍を買ふの因となる 封地に帰るの歌 宝器を所有主に帰す 隨行の者を戒む 学校の制を?む 屡々領地を巡回す 五僧保月二村の争訟を断ず 営中に囲碁を禁ず 佐野領を巡視す 祖先の碑を拝し株税及び娼妓を廃す 口号 近習の儉素を励ます 老臣を戒●す 京師を守護す 井伊氏の守護は史上の由来あり 水彦2藩の異説 三条実万の手翰 世伝の誤謬 直弼書を義言に与へて継嗣の事を論ず 長野義言京師に周旋す 水越薩の藩巨京師に遊説す 家定直弼を挙げて援となす 井伊氏の家系より直弼大老となるに至るの記事 23-80 朝廷幕府の関係は史上の沿革に出づ 名実分岐の変状 外交の為に名分を正すの要を生ず 外人日本の真相を知らず 世変の由来一日の故に非ず 親房の公評 英人の評論 鎖港の政略は幕府自定の者なり 幕府外交を定むるの断なし 公武合体説の原因及一橋氏迎立の主義 斉昭の勢力 慶喜の声望 三家及び三卿 阿部正弘 鎖攘家斉昭に不平なり 擅制政体の大害国家患難の時に著明なり 水府の勢力は鎖攘の説によりて増加す 水藩の学風 近世史家の陋見 幕府の失計は言論の自由を奪ひて興論を愚に陷らしめたるにあり 少しく彼を知る者は少しく怯にして大に彼を知る者は大に怯ふらざるを得ず 幕府洋書の禁を厳にして自ら其●に苦む 内外の関係絶ゆ 家康は外交を絶つの心なし 外人の過行自ら交際の途を絶つに至る 教徒世●を貧りて禍後人に及ぶ 英人に貿易を約す 蘭人英人の通商を忌む 英人の評説 葡人の失計日本の外交を塞ぐ 洋語を解する者は訳官醤家に止まる 新井白石の博渉 吉宗将軍の遠識 卓見の士洋学の為に禍を取る 幕府の儒臣又其所見を公言せず 世論の暗? 治術教義悉く外交を拒むの説に非ざるなし 詩歌文章当時の思想を微すべし 経世の書又皆攘拒の説 沿海の測量通交の請求開港の談判使節の登営公使の派遣悉く国人の怒を激す 征夷の2字を以て攘夷の論基と為すの迂説出づ 徳川氏の政略及び嘉永安政年間大勢の記事 81-112 嘉永6年以来の概況 和議戦論粉々として一も成算なし 和交の説渕源あり 幕府成算なくして唯延期を主とす 英蘭露も又和親の国となる 米使国書を齊らして下田に来る 米使将軍に謁せんことを請う 米使の決心 阿部正弘堀田正睦を薦む 正睦佐藤泰然を聘して蘭学を講ず 正弘卒す 米使江戸に来りて将軍に謁す ハリスの挙動 2百余年間宇丙の変遷 彼我感情の相違 正睦京師に入りて条約の許可を請ふ 島田左近 廷臣の争議 条約許否の疑問を諸侯に諮詢せしむ 直弼大老に任ず 勅書を公示して諸侯の意見を諮ふ 直弼手記の答案 彦藩の儒者中川録郎非戦の議を立つ 正姦2党の名称は各党が互に他党に与へたる者なり 史家の誤謬 反対の政敵 幕嗣定まることを告ぐ 勅允期日に来らず 米艦露艦相継で入港す 米使訂約の得策を勧告す 直弼有司の議に同意して仮約を訂することを決す 仮約の署名 斉昭の贈書 責任を皇帝に帰すべき乎抑執政自ら責に任ぜん乎 閣老の奏言 締約の旨を諸侯に告ぐ 直弼書を斉昭に贈る 勅允の遅達 志賀の自殺 正睦忠固罷られ太田資始間都詮勝松平乗全老中にとなる 慶永直弼の対論 不時の登営 殿中の問答 尊攘記事の謬 仮条約訂約の得失を概許す ハリスの心事如何 英人ハリスの行為を許す 米国の攻略及びハリスの好意 欧洲諸国の外交は威力を先にす 蘭人忠告の功 大戦を経ず寸土を削られずして外交を開く 米艦の浦賀に入るより仮条約を結ぶに至るの記事 112-202 幕嗣を定めて諸侯に達す 家定の病起る 水藩の党を●責す 三家大老を召すの詔命到る 征夷大将軍家定屍ず 外人?至す 事情を京師に分疏す 勅書 分疏の文 露使登営して慶福を見る 日英の条約成る 内外人の記事齟齬ありと雖も米国条約によりて便を得たりしとの点は符号せり 分疏の状を関白の観覧に供す 分疏の文 叡旨の大要 幕府摸稜の政略を執れりとの非難は事寛あるの評言なり 無余儀の字面京神に容れられず 直弼を鎖港家と評する者あるの理由 居留地を横浜に建つ 神奈川県庁と称する由来 嘉永安政の開港家は貿易の事を解せず 佐久間象山も又貿易の本旨を解せず 海舟象山を評するの言は之を移して直弼の評言に当つべし 今日の社会は開港家の紀功碑と謂ふべし 直弼一人にして開鎖両論者の誹譏を受く 大久保の手翰 長野の手翰 主膳国論を左右す 詮勝廷に尚忠と対論して幕府が外交を好まざるの状を陽に京紳に示す 主膳の姦人を以て目せらるヽハ偶然に非ず 家定の喪を発し家茂牙城に入る 幕府水藩の乖離倍々甚し 京神の間幕水の2党に分裂す 鷹司近衛三条の諸氏 関白大老西東の要機を握る 鷹司輔煕辞職を関白に勧告す 斉昭の争地を東に失びて之を西に移さんとす 直弼西上を辞するの一理由 後年の事迹は当時の状態に類する者あり 慶喜慶永の心事責む可からずして史家の無識笑ふべし 松平楽翁の逸事 定信智弁を以て違勅の責を免かる 仏船3隻品川に入る 仏国条約成る 三家大老上京せざるを責むるの勅書到る 水藩勅を受くる旨を幕府に告ぐ 慶篤内勅を資始詮勝の二人に示す 水藩に下れるの勅書に伝奏の副翰なきを以て慶篤も又之を疑ふ 詮勝の上京を延期するの陳謝 主膳勅命降下の事情を報ず 直弼奏上の草案 詮勝の奏案を採用す 幕嗣を定むるより詮勝の西上に至るの記事 202-249 2党の争? 詮勝西上の初念 逮捕糺訊の説起る 逮捕糺訊の決意 詮勝の西上京師の事情をして転々切迫ならしむ 関白尚忠窘迫して辞表を呈す 2党の転機 直弼の処分案 関白辞職の報を聞きて直弼逮捕の意を決す 主膳前見直弼の猶予 斉昭直弼の運命は尚忠忠熙の進退に係れり 流血の機足底に動けり 逮捕の事起る 山本の手記幕史の手に落ち梅田の書翰主膳に得られて反対党の計画発露す 主膳梅田を捕ふることを主張す 梅田鵜飼小林等皆捕へられ襲撃予謀の報告主膳に得らる 彗星訛言を生ず 彦藩謀反の訛言 川路一時の巧弁後日に意外の結果を生ず 正睦の心事 川路遊説の本意 直弼川路を疾む 2党の破裂は関白の辞表梅田の逮捕及び密書の入手に起る 梅田源次郎の人と為り如何 梅田の手翰 直弼が反対党の謀士を捕へたるは政敵相制するの勢に出づ 梅田手翰の評 梅田手翰の誤点 志賀自殺の寛説 掘織部正自殺の実説 訛言の原因 利煕の遺書といふものは擬作なり 信睦利煕ハリス皆事実に背けるの評説を受く 廃帝の問題 承久の事は典例の尋ぬべき者に非ず 前田夏●の話 擬書作者の不学 史家の無識 秘密政府の大患 時局の大変に際会して上下有為の士其患者を受く 詮勝主膳に醒ヶ井に会して反対党の処分を議す 謀士を捕獲して京紳の意を動かさんとす 9月17日詮勝京師に入りて妙満寺に館す 諸士捕へられて別勅水藩に下れるの事情確知せらる 幕府に下れるの勅書は水藩に下れる者より後れたるを一昼夜なり 水藩が勅書に答へたる文 2党の危惧益々長ぜり 詮勝西上の為に訛言起る 壮士訛言を聞きて博浪の一撃を行はんとす 訛言の起るや恰も雪塊を雪上に転ずるが如く転ずるに従て愈々大なり 訛言互に憤怒の念を激す 藩論として襲撃の挙に与かりし者なし 強大の諸藩が幕府を廃せんとの意は幕府従長の兵敗れたる時期より始まれり 訛言幕吏を驚かせしの証 政海の波瀾名士を捲倒す 史家が故人に酬ゆるの義務 文久年間長藩開鎖の2党も安政年間の状に異なるなし 世儒所見の矛盾 寛政の二奇士其所見相容れず 京師の大事多くは長野の案に決す 議者の憤怨直弼の一身に集る 直弼は内外に異論者を有せり 忠義の説一進して強圧の傾向を生ず 直弼の見は鷹司近衛の諸氏を退けて九条氏の位置を強固にするに在り 前後寛殿の説を異にす 直弼詮勝忠義の異見に関する議案 公卿処分の案 鷹司氏父子を流刑に処せんとするの説 直弼温和の処分を指令す 外交処分の案 直弼兵庫の開港己むを得ざるを答ふ 私書の往復は公文の註釈に当つべし 京師の状少しく変じ二条氏九条氏の辞職を止どむ 10月19日尚忠参内す 忠義再び調停の説を為し詮勝も又東帰を思ふ 京囚の処分要領を得ざるを以て之を江戸に移すに決す 10月14日詮勝参朝して仮条約の事情を奏す 12月朔日将軍宣下の礼を行ふ 二条氏東下して2党の調停を試みんとす 直弼温言を以て二条氏の会見を辞す 忠義再び調停の説を主張す 幕府条約を訂せるの已むを得ざる事情を奏して聖意稍解く 詮勝の書翰 12月晦日詮勝参内して詔命を受く 仮条約の事情を諒して鎖国を猶予するの勅文 違勅の疑案 違勅の2字は反対党の劾告に出でし史上に存留するの跡を見ず 梵鐘銷熔の令は勅旨に出でたるが僧徒の愁訴に因て廃止せらる 綸言如汗の格言 2党の争●より仮条約の事情を諒する勅允下るに至るの記事 250-320 幕府が内外に対する政略上の疑問 鷹司父子近衛三条四氏の落飾解官 近史の偏評 三条井伊2氏の関係 寛萬直弼忠寛の遭遇 澤村出雲守 実万の意見中途に変ず 尊攘記事の妄説 東洋史伝の通弊 漢文の国史は事実を得難し 詮勝の東帰 後年紛擾の因此時既に地底に隠伏せり 勅允は鎖国延期の者に止まりて開港に非ず 幕府内外に対するの面目を異にせり 直弼が内外に対するの政略 猶予の勅允を公示するや否やの問題 直弼詮勝の異言 猶予の疑問起りし来歴 名実二廷の異議を調停するに猶予の2字を以てす 和宮降嫁の内議 左近詮勝主膳直弼の関係 水藩に下れるな内勅の処分 勅書返還の允許 公卿の処分より勅書返還の允許を得るに至るの記事 321-340 水藩の動揺 五手掛りの調 水藩処分の疑問 板倉佐々木氏の2氏罷められて松平池田の2氏之に代る 太田資始職を罷む 党獄を断ず 斉昭禁錮の達文 諸侯及び幕吏を処分す 鵜飼等諸人を流斬す 安政?獄の評 一●中に許多の異なる分子を含有す 擅制社会党派の性質 史評の失当 秘密政略の弊害 糺藩判決の不備 藩府の観察社会の考案両ながら本相の全体を見る者に非ず 吉田寅次郎の刑せられし理由 〓三樹の刑せられし理由 池内の死刑を免れし理由 梅田の意見 梅田頼2人の所為相異なるを見ず 国事犯の観察古今相反す 三支藩に達する文 斉昭の処分八重きに失すと云ふ可からず 刑律の表面より之を見るに羅織に非ずして政略の精神より之を案するに失計と評すべし 橋本吉田等は頑●の鎖●家に非ず 幕府諸吏の性行 ●●震掘利煕永井尚志 土岐〓旨 野々山鉦蔵 大久保忠寛 安政?獄の概評 宇津木の記録 三浦の手翰 擅制社会が上下に与ふるの不幸 水藩の動揺より安政決獄に至るの記事 341-378 幕府安藤信睦をして返勅の命を水藩に達せしむ 返勅の順序 水藩の異議 幕水の争● 水藩の紛擾 激徒道路を渡る 勅書を祖廟に●めて之を譲る 原市之進の建議 斉昭の諭書 激徒の抗言 暗撃の事起る 返勅の命を下せしより暴発に至るの記事 379-402 3月3日の暴挙 興津某の話 聞取書 蓮田の文 暴徒の意思一に非ず 暴徒の口供 暴徒18人 桜田暴挙の総評 暗撃に関する史家の謬妄 職争暗撃の異なる要点 暗殺の結果は人材を●して止むに至る 水藩人材を●して其勢力を社会に失へり 姉小路公知 佐久間象山 坂本龍馬 横井平四郎 大村益次郎 岩倉具視大久保利通板垣退助 正姦の誤想実害を社会に現す 松林伯鴻が直弼を責むる文 岡千●の付論 天誅 18義士 社会に人を殺すの権あるや否 国事犯に死刑を除くの理 暗殺は文明社会の極醜事 戦争ハ多数が小数を制するの一方法 暗撃は一二人の想像に出づるを得べし 国事犯の死刑と暗殺とは其精神相同じ 直弼卒する時年46 葬地及び諡法 3月3日の暴学より直弼を葬るに至る記事 402-444 直弼の生涯 三条実万 万里小路正房 吉田寅次郎 適存否滅の理 大政返上説の濫觴 開港の思想 大政返上の説 広く人材を挙ぐるの説 一戦して士気を振ふの策は危険なりとの説 暴客を使ふの策士 外兵を以て内訌を圧せんとするの危険を説く 政権を他に譲らんとするの説 大久保外交を坂本沢村に説く 内乱外患を招くを恐るゝの説 直弼政界の概要 直弼の心事 直弼遭遇の不幸 石谷薬師寺長野宇津木 当時の情態 天災地変皆外交の応となす 松平信発の忠告 野々山の忠告 侍臣の忠諫 直弼僧とならんと欲す 間瀬和三郎山陸修覆の議を進む 諸侯の位置 斉彬の手翰 直弼の建議案 斉昭斉正宗記皆攘夷家に非ず 斉昭の秘翰 藤田会沢も搶攘の説を変ず 開国の事跡を安政年間に繋け又直弼の伝記に繋くる理由 直弼の総評より当時の大勢を説き開国の事跡を直弼の伝に繋くる理由に至る 444-490 著者の総論 491-501 諸家の批評 503-515 |